言葉以上の壁。相互理解の大変さ。

こんにちは、みなさん。

はむだです。

カリフォルニアに滞在して1週間。

暮らしに慣れたか?と言われれば、

やっぱり日本の実家ほど楽に暮らしたことは今までない。

故郷って、偉大だなぁ。

(でも体調は海外生活してるときのほうがいい。運動量の違い?)

それでも私が日本を出て

セルビアに身を置き、更にアメリカへ移動したのは

もっと学びたいことが私の中に潜んでいるからだろうと思う。

その中のひとつが、あらゆる面でたくさんの人の意見を聞きたい、ということ。

自分以外の人がこの世界をどう見ているのか。

例えばそれは、日本人同士であっても

家庭環境や年齢、性別などでもかなり人によって違ってくると思う。

それが生まれた国が違うとなれば、どうだろう。

さっき上で申し上げた家庭環境etc.に加えて、

宗教や文化の違いが加わってくる。

もはや「普通」というワードはお互い使えない。

衝突があったときに自分のスタンダードを振りかざしても、相手が理解してくれることはない。

なんというか、「理解」はできても「心から納得すること」がどうしてもできないのだ。

これに改めて気づかされたのは、彼との衝突の中だった。

詳しくは記載しないけれど、お互いの家族についての会話の中で

「直接的にはっきり言う」のか、「敢えて曖昧な言い方にする」のかの違いで私がとても嫌な気持ちになったことがあった。

彼は「なんでそんなことで嫌な気持ちなってんだよ?」みたいに、本当に私がどのポイントに嫌だと感じたのかまったく見当がついていない状態だった。

それでも彼は諦めずに何度も会話を掘り起こして私に説明させた。

私が何度も説明している中で

「この場合、日本だと絶対”●●~”とは言わないんだよ。

私たちは基本的はっきり言うような文化ではないから。」

というような説明をしたとき、彼の目が見開いて

「OHHHH!! I got itttt.」って謎が解けてすっきりした様子だった(笑)

私としては「え、それで謎が解けたの?」って感じでしたが

理解してくれたようで、お互い謝って無事に解決しました。

ただ、ここで言っておきたいことがある。

「私が嫌な気持ちになった」のはあくまで私視点で、

私が自分で嫌な気持ちになることを選んだのである。

それを二人で話し合って、深ぼることに彼が協力してくれたのである。

彼に私の嫌な気分を解決する責任は本来ない。

自分ひとりで感情を処理して解決したっていいのだ。

でも、二人で違いを見つけて「はっ!そういうことか!」

と面白がることで人生何倍も楽しくなると思っている。

でも、この相互理解の作業は本当に疲れます。

めちゃくちゃ疲れます。

その代わり解決したときは、すっごい達成感ですね。

このコミュニケーションをとても大事だと

お互いが思っているので、諦めずに今のところできています。

みなさんの人生にとって一番大事にしているものは

なんですか?


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